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失敗してもチャレンジできる世界

「自分が望んでいること」よりも「恥をかかないこと」の方が大事になってきたりします。

例えば、失敗することが恥ずかしいことだと思っていると、

当然チャレンジするのは難しくなる。

椎原崇さんのブログから引用

 

「恥」について | 椎原崇オフィシャルブログ Powered by Ameba

 

いま、野本響子さんの本を読んでいるせいもあって、失敗に対してとてもとても寛容な国のマレーシアに住みたい、永住まで行かずとも出来たら行き来する生活がしたい、なんて思ってる。

50代だと遅いかもしれないけど。


どうしてこんなに他人の事にうるさいのか本当に他にする事がないのか。

 

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日本人は「やめる練習」がたりてない (集英社新書)

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他人に禁止や厳しいダメ出しばかりしていると、自分の首を絞めてしまうって事に気がついた方がいいと思う。

 

 

例えば、

「コンビニスイーツを食べてばかりいると太るわよ!」

とAさんがBさんに注意したとする。でもそれはたまたまかも知れない。

もし以前にもコンビニでBさんがスイーツを買ったところを目撃したとして、それは1回目で今回がたまたま2回目かも知れない。

でもAさんは厳しいので〝いつもコンビニでスイーツばかり買ってる〟という枠にBさんを当て嵌め、煩く注意するようになる。

 

例え話だけどね、これ。具体的でしょ(笑)

 

こういう人がとても多い。

別に良いじゃないか、何回コンビニ行こうと誰が何を食べようとAさんには関係ない。もし太ってもBさんは気にならないかも知れないし、太ったらそれはそれでダイエットに挑戦しようと何かのタイミングで思うかも知れない。

それはBさんの自由。

 

でもBさんに禁止やダメ出しをした以上、今度はAさん自身の行動が制限されるということになる。

Aさんがコンビニでスイーツ買うところを誰かに見られようものなら「他人に厳しく自分に甘い人」と少なくともBさんからは信用されなくなる。

 

Aさんに会社の嫌味な同僚や上司、うるさい親や親戚や、ちょっと意地悪な知人なんかを当て嵌めるとしっくりくると思う。

 

そうやって監視し合って、あれダメこれダメと禁止しあっていると、どんどん出来ること挑戦したいことがなくなってしまう。禁止事項が増えるのでやる事がなくなり、ますます関心が自分自身ではなく、他人に向いてしまう。

窮屈で息苦しい世界。

 

失敗してもお互いにゆるゆると許して何度でも挑戦していける環境に身を置きたいと思う。

今、私は友人はとても選んでいる。ゆるくて失敗を咎めず、応援し合える居心地の良い人としか、付き合わないと決めている。

 

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